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空組武士道な柴犬めごと    保護犬いろはの日記

by 山茶花(さざんか)

3月11日という日 

さいた さいた さくらが さいた
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確かこのフレーズ去年も使った・・・
桜の花は今年も変わらず花を咲かせてくれたけど

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その後ろに立ち並ぶのは、仮設住宅だったり
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空き地は自衛隊の基地になっていたりする。

そして車で5分も走った場所はもう天国と地獄の違い


ちょうど震災の当日3月11日も、ブログを更新しようと
下書きをしてる最中でした。
2日前の3月9日に東京に帰る兄ちゃんを送りがてら盛岡の病院に行き
膝の手術が決まったこと、そこで震度4の地震にあい津波が20cmだったこと
そして

「なんだか、今年は年明け(大晦日?)から良くないことばかり」と


書いていたその時でした。

そのせいか震災以来、どうしてもパソコンに向かう気になれずにいました。
今も心臓がドキドキしています(汗)


パソコンの横で鳴り響いた携帯の緊急地震速報14:46分。
間もなく大きな長く続く揺れ、一度落ち着くと再び大きな揺れ。
前の家の窓が外れたのを見て、尋常ではないと思いました。
室内に戻るとすでに全ての電源は落ちていましたが、物が倒れたりの
被害は全くなかったです。

その時「津波に注意してください」という市内放送を耳にしましたが
そこから大津波警報を聞いた記憶は全くありません。
ただ、海の上をかもめの集団が鳴きながら円を描いていたのだけが
記憶に残っています。

こんな地震は今までに経験がない。
もしかしたら津波が来るかも・・・

「どうせ、来ないよ(津波が)あなただけ行きなさい」と言う義母を説得し、
車に乗せ、シャッターを下ろし鍵を閉め自宅のある山方向へ向かいました。
この時でも万が一津波が来ても床下浸水くらいだろう・・・と、とにかく室内の物が
流れなければいいや、と私も義母もカバン1つだけ持ちました。
すでに渋滞していた道路、中学校に居ると安心していたソイ君が早い帰りだった事に
気付き「今から帰る」とメールをしたのが3時07分。すでに地震発生から20分が
過ぎようとしていました。


まさか、その10分後にその場所に真っ黒な大津波が押し寄せるとは
全く想像していませんでした。
全ての通信手段を断たれ、電気、水道も止まり私がその大津波の様子を目に
したのは電気が回復した3日後のことでした。


「私も後10分遅ければ、あの黒い津波の中だった・・・」
言いようもない恐怖感に襲われました。

地震発生時、壊滅的被害を受けた地区に行っていた父さんとも
地震のあと「大丈夫」のメールを受けてから音信不通に。
三陸大津波で大きな被害を受けた地区だったので、心配が時間を追うごとに
大きくなっていきましたが、全く連絡がとれず、暗くなってきた家で
探しあてたロウソクに火を灯し、たまたま電池の入っていたラジオを聞き
父さんの帰りを待ちました。「いざとなったら、逃げていて」そう祈りつつ。

普段、わずか10分で戻れる道のりを5時間かけ父さんは夜の8時に
戻って来た時には涙があふれました。無事で良かった・・・。
父さんは後10分遅ければ壊滅的被害を受けた地区で、10分早ければ山を下った地区で
津波にのまれていました。

不気味に揺れ続ける余震、心配してるであろう人達に連絡も取れず
眠れない夜が明け朝を迎えた時

「夢じゃないんだ・・・」

そう思いました。
でもこの時は興奮状態でしたので、
「大丈夫!生きてさえいれば何でも出来る」とかなり前向きで
夜眠れずとも疲れも感じずにいました。
ただ、電気、水道の不通がいつまで続き食料がいつまでもつのか
それだけが大きな不安でした。


長くなりましたので、少し休憩を。。。
by pi-pal-mego | 2011-04-26 16:39 | 震災 | Comments(2)
Commented by ぷりんママ at 2011-04-26 18:47 x
あの時していたことが恐くててできないお気持ちわかります。
私もあの日午前中ひどい目眩に襲われて和室で光線治療機で
体を温めていました
その後しばらくできなかったです

お辛いことを再度思い出すことになるにもかかわらず
ブログのUP
でも、1歩前に進めたのってことかもしれませんね
1歩進んで2歩下がることもあるでしょうけれど…笑
っま、それもあり!!!ですネ♪
長いスパンでみて1歩進んでいたら儲けもんです^^v
Commented by pi-pal-mego at 2011-04-26 20:30
ぷりんママさんへ
ありがとうございます!!!
ママさんとの出会いが
私の1つの出発点であったと言っても過言ではなく
ブログ開始当初、そして又今回も被災依頼
沢山の力を頂いて、私はいつかこのご恩をお返し出来る事ができるのかと不安にもなります。

もし私の人生半ばでの今回の出来ごとであったなら
自分の経験が何か誰かのお役に立つことが出来たなら
今、犬猫達の為に何も出来ない自分でも私が被災した
意味がひとつ見出せるのかも・・と思います。
1歩進んで2歩下がるは、まさに今の自分ですが
今このようにブログを更新出来ている事もママさんの
言葉通り少し進んでいるのだと思いたいです。
どうぞこれからもお力をお貸しくださいませ。