カテゴリ:震災( 68 )

昨日のニュースで被災地のある女性が言ってた

「命があっても、生きていくにはお金が必要なんです」

本当にそうだよ・・・嫌だけど悲しいけど現実だと思った。



何事もやってもらう事が当たり前ではないから
被災者って言葉に甘えたくないなと思っていたけど


被災した事業所には一切支援なし!なんて
初めて知ったよ。


なんだかなぁ・・・


まっ、無利子でお金は貸しますって事くらい。
無利子って言ったって、借りる=返すってことだからねぇ・・・
先の見通しも立たない状態で借りるもの勇気いるよ。



自宅を無くされた方達だって
生活用品や電化製品等準備がされ、わずかな支援金をもらっても
箸にも棒にもひっかからないと思う。



有難い事に、我家は来月半ば過ぎから少しずつ仕事を
再開出来る見通しが立ってきたけど
又、事務所を建てて、その用品一式をそろえここ何ヶ月かの
損失を取り戻すには相当な時間がかかる・・というか


果たして取り戻せるのか・・・
と大きな不安の中にいる

でも進むしかないのが現状。


きっとそんな人多いと思うよ・・・


たくさんの義援金が集まってると報じられる一方で、どこにそのお金は
行ってんの~?
結局弱者の救済なんて何もないじゃんと、毒を吐きたくなる。

うちのような小さな家内商売だと、雇用保険もないから
失業・休業手当もまったくなく、でも
こんな小さな町で大企業も少なく小さな商売をしてる人は多いのに
一体どれくらいの人が雇用保険に入っているんだろう。
しかも再開の見通しがあれば、手当も容易にはもらえないみたいだし・・。
保険料だって「6カ月据え置ける」と、聞こえはいいけど
先延ばしになるわけでなく6ヶ月後に一括返済か数回に分けての上乗せ返済。
ここぞとばかりに言っちゃうと、車だって車両保険に入っていても何の意味も
なく泣き寝入り。

でもさ、小さな自営だって税金を払って町を支えてきたんだよね・・・
この震災をきっかけに、商売をたたむ人も増えてると聞くけど
復興するには人が何より大切だけど、企業だって大切なはず。


父さんの古っい生家を賃貸してたけど被災。
生活をしてた人にしか支援のお金はでず、その家の持ち主には何もない。
でも、その家を立て直すお金を出すのは大家なのに・・・
家賃収入で生計を立ててる人も居るはずよね、きっと。

全壊した自宅のローンが重くのしかかる人も多いと聞く。
皆、生きていかなきゃいけないのに現実は本当に厳しいのだ。

私の住む地域の管轄内での失業者は2000人近いらしい・・・

復興の道のりが遥か遥か遠くまで続いている。
[PR]
by pi-pal-mego | 2011-05-17 12:01 | 震災 | Comments(4)

言葉にできない  

今日で震災からちょうど2カ月が過ぎました。
時間が過ぎるのが早いのか、遅いのか・・・うーん、わからん。


実は書きたい事は山ほどあって、でも気力が追いつきません(汗)
なので、前に戻ったり、つい先日のことだったり・・・と
誘われてフラフラ~な、ブログですがご迷惑でなければお付き合い下さいませ。


地震・津波のあと、本当にたくさんの方から

メールや電話、そして、とてもとても温かい温かいお心遣いを
頂きました。それは家族や古くからの友だけではなく
「めごちゃんと一緒に家を使って~」と言って下さった方やお会いした事が
ない自分を心から心配してくださる方々のメッセージ。
幸せ者だな・・・わたし。


心から”ありがとう”の気持ちでいっぱいです。


本当はね、ありがとうなんて言葉じゃ足りないんです。
小田さんじゃないけど“言葉にできない”

なんでしょうか・・・不謹慎極まりないけど

こんな震災にあいたくなかった。
極小な私ですから「なんで私!?]
そう思いました。


でも、負のことばかりではなくて


私ごときの生存を涙して喜んでくれた人が居る


そんな極上の幸せに出会ったのも、この震災のおかげかもしれません。


だって、普通だったら魂となった自分が
「あらっ、もしや自分ごときの為に涙ながして下さってる方が居るのっーーー?」
と、下界に戻ってその方々に恩返しに戻りたいのに戻れない・・・

なんて感じかもしれない。


ですから、わたくし今回私に想いをはせてくださった皆様に
そして社会に何か御恩をお返し出来たら・・思っております・。
・・・しますと断言できないけど(汗)

だって、命あるものです、私。


それは伝えることだったりするかもしれないし、犬猫の事かもしれない
まだ、これ!ってわからないしヘタレですので、たいした事は出来ない
事はわかっているからね、小さく小さく宣言・・苦笑)





小鳥ちゃんのご主人が言いました。


「生きているんだから、きっと俺たちにはなにか役目があるはず」と。

それは、役目があるから生き残れたということではないんです。
多くの命が失われ自分も生きている事が不思議だとしたら

何かしなくては

そんなふうに思う・・・


わかる気がしました。


そして・・・


極まりない心配をかけました。


離れて暮らす兄ちゃんを始め、家族、そして友人、知人
心から申し訳なく思います。
私も逆の立場だとしたら生きた心地がしない・・・。


震災間もない頃、道ですれ違う市内の知人達と別れる間際の言葉は

「頑張りましょう!」
でした。そう言って別れました。


その言葉が一番重くて私にとって辛かったのは
実家に戻った被災後3週間前後だったかな・・・と今は思います。

「今までで一番の試練だから頑張れ」


父の言葉にブチ切れ号泣してましたから。

「今までだって頑張ってきたよ・・もう、頑張れない。」と・・・・。


これは私と父との親子関係にも問題がある事は間違いないのですけどね。



数あるCMメッセージのなか
心に残るのは

「一瞬の力も大切。でも続ける力ももっと大切。僕たちは応援し続けます」

e0160568_191058100.jpg

兄ちゃんが連休に帰省した時に訪れた大槌町
「犬と猫と人間と」でも後援等お世話になりました・・でも
町がない・・・この風景が海沿いに大船渡~仙台~福島までも続くのです。

今、被災した一人である私が言える事。
それは復興には長い、長い、長い、時間がかかるであろうという事。
大変残念ながら。



きっと多くの被災者が思っていることではないかと思います。
[PR]
by pi-pal-mego | 2011-05-11 19:35 | 震災 | Comments(10)

ひとりごと

ただ泣きたくなるの~♪

って、みぽりんの歌じゃないけど


なんででしょっ・・・涙が出てしまう
これと言った特別な理由もないんだわっ。



「前からグチを言う子だったけど、こんなに泣かなかったわねぇ」
と呆れる母。



ごめん、一番心配かけてはいけない人なのに。


悲しいのか、切ないのか、辛いのか、やるせないのか・・・


自分でもよくわからないけど
もしかしたら、そうやってリセットしてるのかな自分を?
涙は心を浄化するって小鳥ちゃんが言ってた。



「皆、疲れが出てますよね~」


以前より顔のラインがシャープになった今日会った地元の友人の言葉。
確かに!父さん、震災後初めて風邪&喘息
(見かけによらず体が弱い・・・汗)


そう、2カ月の月日が過ぎようとして

現実と向き合いながら行きつく所がある気がした。




前向きな自分、後ろ向きな自分、
今年は庭に咲く白いチューリップに強く心がひかれた・・・


それでも前に進みたいな。。。と想う。
[PR]
by pi-pal-mego | 2011-05-09 20:02 | 震災 | Comments(6)

被災してわかった独り言

おっと・・・また、またお久しぶりになってしまいました(汗)


短期で始めたバイトが実働7~8.5時間と久々のフルタイム勤務
おまけに慣れない仕事なので戻るとヘロヘロ・・・
でも、考えない時間と働ける事、必要とされる事が有難かったりしてます。

今日は震災時感じた事を思い出して書いてみようと思います。
ので、文字ばかりが並びますよっ(笑)

そして

あくまでも私の独り言です。
感じ方は人それぞれだと思うし、私の場合は自宅が残ったこと
そして自宅付近が津波の被害がなかったことでライフラインの復活が
早かったので・・・。

まさか震災にあうと思っていなかったので、なーんも備えてなかった
アホな私。
「備えあれば憂いなし」というのにねぇ・・・後悔。

まず絶対必要と思ったのは、電池。
それに懐中電灯に水、もちろん食料。
とりあえずお米があるとホッとします。
炊飯器はが使えないけど、お鍋とガスで炊けるし。
なので飲料水はあった方がいいです。


人によっては役に立たないと言う人もいたけど
我が家ではラジオも有難かったですね~
それしか情報が得られなかったし、夜ろうそくの灯りだけで
”いつまでそれももつの・・・”という不安の中で、ラジオの声は
かなり心強かったです。
そして反射板のストーブと灯油、カセットコンロとガスボンベ
ここらは未だプロパンガスなので、今回ガスには困らなかったけど
仙台等都市ガスの所は逆に復旧にかなりの時間がかかったようです。


あと、お風呂の水があったのでトイレの排水等に役立ち
大量に必要はないと思うけど、トイレット&ティッシュペーパー、それに
めごのフードは買い置きがあって助かりました。(1か月分くらい)
いつも父さんに「買い置きしてどーすんのー」と
呆れられていましたが、今回は「あって良かったね」と誉められた(笑)
長蛇の列から戻るスーパー帰りの方で手にされてる方多かったです。


ろうそくも仏壇に使うような小さいものはあっというまに消えてしまい
我家では押入れの奥深くしまってあった(よく取ってあったともいう)
父さんと結婚した時に式場からもらったキャンドルサービスもどきの
1メートル程の高さのある太いろうそくまで出動(爆)
でも、この安心感は大きかったな~
余震で倒れて折れたけど・・・・(笑)
あとアロマキャンドルを灯すのコップのようなものだと
消えずに移動も出来るという利点がありました。
ほら、なんせ最初懐中電灯が見つからなかったから(滝汗)



あとね苦手だったけどご近所付き合いはしてて正解でした。
ここで○○が買えるよとか、情報交換したり灯油や食料をわけあったり
不安な気持ちも分け合えました。
とにかく、言いようのない不安なんですよね・・・。
通信手段が途絶えた時、ご近所さんには本当に助けられました。



そして、そして、電気は有難いな~と心から思いました。
電気がついた時本当に”ほっ”として
不思議と心も明るく灯されるんですよ。
そして、水・・・お風呂もねぇ、元気を貰って頑張ろうという気持に
なりましたよっ。日本人に生まれて良かった~って。


逆に、伝言ダイヤル・・・これはドコモの携帯が常に圏外だった為に
全く役に立ちませんでした。
今回私に住んでいる地域では一番auが通じたようで次にドコモ、最悪だったのは
ソフトバンクだったようです。


全くアンテナが立たない状態で、人づてに「ここなら電波は入るよ」と情報を
貰って移動するけど、そこには人が集まっていて又圏外になってしまったり
メールは出来ても通話はNGだったし。


結局、携帯が通じるまで10日くらい、固定は2週間くらいかかったかな・・
ちょっとあやふやですけど(汗)
そして電話回線が復活しても、とにかく電気なんですよー
ストーブも点火するのに電気だったりするでしょっ!

必要以上の電力はいらないけど、最低限の電力は絶対必要だわ~と
有難さを痛感した今回の出来事でした。

公衆電話が無料で使えても、このご時世公衆電話なんてないっ!
そして消防署の衛星電話も3時間待ちとかで・・・
いくら時間に余裕あっても
気力体力が待てねぇーみたいな。
だって、そこまでの移動は自転車ですもの。
今まで車社会だった市内が、いきなり
「ここはどこぞやの東南アジアの国?」のような自転車族。
これも震災後の現象でした。

またまた不定期に続くのだっ。
[PR]
by pi-pal-mego | 2011-05-06 20:17 | 震災 | Comments(4)

実家で、87歳になる叔母と涙を流し抱き合い
母の愛に安堵し、最愛の兄ちゃんと再会し
でも、誰と会う事もなく行ったのは妹の家だけでした。

高校からの30年来の友人が私の無事を喜び
「一緒に夕食を」と声をかけてくれましたが
行けなかった・・・

「元気・・・大丈夫・・・頑張る・・・」

心配をかけたくなくて発してしまう言葉
自分の本心ではない言葉が重すぎて、辛かった。

私より辛い人はたくさん居て、そんな事は十分にわかっていて
きっと、今、ソイ君が目の前に居なかったら何も考えず
ただ、ただ、ソイ君を探していたであろう自分。

1週間、ただ、ただ、時間を過ごし、したことはソフィの散歩のみ。

学校の為に戻るソイ君と共に岩手花巻に戻りました。
見送りに来てくれた高校の級友に感謝。

私は実家に戻りたくなかった。
高齢の母を号泣させてしまうほど心配をかけてしまったけど
でも、私はこの被災した地に戻らなければならないと思ったし
その地に戻る事の方がきっと辛いと思ったから・・・

でも、戻りました。
ソイ君の為、そして、又商売の再開を待って下さる方が居るから。

本当に、本当に、たくさんの方の励ましや温かな言葉
そして私などの為に流して下さった涙・・・どれも決して忘れません。

被災したからこそわかること・・・本当に沢山ありました。

「さざんかー、今こそ何かやんなよー」

そんなお叱りの言葉もあるかもしれません。
そんな自分とも向き合っています。


e0160568_21455622.jpg

                   「でも、桜咲いたよ~」


e0160568_21463695.jpg

            「水仙もキレイな春なのだ」






宝くじが当たったら嬉しいし、財産はあるに越したことはないし、世の中お金かぁーと
思ったこともあったけど、でも、
自分は
贅沢でなくてもいい、人様に社会に子供に迷惑を
かけないくらいのお金だけあればいい

そんなふうに想い至って日々を過ごしてきたけれど
それさえも、ままならないのだと今回の震災で知らされました。

それでも、生きているという現実。

津波の中に消えてしまった在庫、わずかに手元に残った在庫は被災後避難所に
寄付させて貰いました。
市民の皆さんのお陰で成り立ってきたことへの出来る少ない恩返し。

そして
「待ってます」「頑張って」と言ってご愛顧下さる皆さま。

まだまだ気持ちは不安定で、時折涙が出てしまいますが

少しでも前に・・・

そして、私の住む市の避難所で犬猫と暮らせるよう署名集めの活動。
そしてブログの更新、やってみたよバイトもっ。

小さい、小さい、私の一歩。


つたない弱小ブログを一か月半も放置し、きっと来て下さる方も
居ないだろう・・・と思っていましたが、変わらずお立ちより下さっていた方

本当にありがとうございます。

今の私がどんな、何の情報を発信出来るのか自問自答ではありますが
一人でも待って下さる方が居るのだとしたら心からうれしく想います。
[PR]
by pi-pal-mego | 2011-04-26 22:06 | 震災 | Comments(18)

被災した翌日、スーパーには長蛇の列、そして小学校に水をもらいに行くと
すでに飲料水はなくプールの水をトイレ等の排水用に汲み置きするだけでした。

ソイ君のお友達がおじいちゃんの持ってる山の湧き水が飲めるし、汲んでもいいよと
言ってくれて父さんとソイ君は山に水くみにも行きました。

今までに経験のない現状、何が起こっているのか現実もわからないけど
きっとすごいことが起こっているんだと・・・
父さんが戻った時に高台から見た町を

「地獄絵だった・・・」と例えた

その地獄をまだ知らずにいました。

余震と津波警報が鳴り響く中、過ごした震災2日目


そして3日目、変わり果てた現実を目の当たりにするとともに
自分の生活の不安に突き当たりました。

私が撮影した被災後の町の様子です。
心が沈む方もいらっしゃると思うのでここから先は、見てくださる方の
判断でご覧ください。

今まで、この場で申し上げる事はありませんでしたが
我家は自営業で、店舗(事務所)を兼ねた義母宅
津波の被害を受け無残な姿となっていました。

そう、鍵もシャッターも意味がなく1階は流され2階部分の屋根だけが残っていました。
e0160568_20511396.jpg

e0160568_20514958.jpg

介護を必要とした義父の為にリフォームした家も残っていたのは
玄関のた敲きだけ,店舗までの全ての家は跡形もなく消え去り

e0160568_20535284.jpg

父さんの生家であった家、そして私達を快適に東京まで
連れて行ってくれた愛車も見るに堪えない姿に涙した父さん
「一緒に逃げれずごめんね」思わず私の口から出た言葉。
命あるものではないけれど、愛着のある車。
どんな思いで津波の中に居たのだろうか・・・・


街中に大きな漁船があるという、甚だ違和感ある光景
e0160568_2054526.jpg


行く手をふさぐ瓦礫と電柱
e0160568_205534100.jpg


交差点に立ちはだかる漁船を潜り進みました。
e0160568_2058254.jpg


そして突き当たった生活の不安。
我家はそこから一切の収入を失うのだという現実に突き当たりました。


父さんが病気になったら、売り上げが減少したら

そんな事を考える事は多々ありましたが、震災・・・・
それにより全ての収入を失うことは全く考えていなかったのですよ、
考えすぎ、気にしすぎ、気の使い過ぎの私としたことが(笑)

そして、自宅が残ったことの有難さと共に感じた
避難所に居る方への申し訳なさ。

常に圏外である携帯、伝言ダイヤルの無意味。

近所付き合いの大切さ。

人つての情報で、携帯電話がつながる場所へ移動するが
限りあるガソリンへの不安。

携帯が通じても、わずかな電波で通話は出来ずメールで無事を伝えるのみ。
たくさんの人からも安否確認の電話、メールにも答える事が出来ないもどかしさ。

消防署の衛星電話に並ぶ長蛇の列。

私の精神状態は段々と不安に押しつぶされ、弱い自分と向き合う事になりました。

仕事・学校にいくということ
電気、水のある生活、そして、きっと当たり前に居た家族


そんな
普通 だった生活を一瞬にして飲みこんだ津波、そして
翌々日の穏やかな海。

関東大震災をどんなに心配したことか
30年以内に必ず起こると言われた仙台沖地震、
でも、自分が震災に合うこと全く想像していませんでした。

なので、何も備えていない不備。


新聞の記事通り、命が助かったという興奮状態から徐々に
現実を向き合う辛さ。

子供とめごを守っていかなければいけないという自分の役目。
被災から10日目くらいから、疲れが増し

「助からない方がらくだったかも・・・」

あれだけ、命が大切、誰かにとって大切な存在であると
訴えてきた自分がそんなことまでも思うようになり

高齢の母、父さん、そして妹のススメで一度東京に戻ったのは
3月27日の日曜日。前日に帰郷を決め、新幹線不通、バス満席の為
秋田空港から実家に戻り、羽田で妹達が迎えにきてくれていました。
[PR]
by pi-pal-mego | 2011-04-26 21:32 | 震災 | Comments(0)

3月11日という日 

さいた さいた さくらが さいた
e0160568_15382817.jpg


確かこのフレーズ去年も使った・・・
桜の花は今年も変わらず花を咲かせてくれたけど

e0160568_15395143.jpg


その後ろに立ち並ぶのは、仮設住宅だったり
e0160568_15413965.jpg

空き地は自衛隊の基地になっていたりする。

そして車で5分も走った場所はもう天国と地獄の違い


ちょうど震災の当日3月11日も、ブログを更新しようと
下書きをしてる最中でした。
2日前の3月9日に東京に帰る兄ちゃんを送りがてら盛岡の病院に行き
膝の手術が決まったこと、そこで震度4の地震にあい津波が20cmだったこと
そして

「なんだか、今年は年明け(大晦日?)から良くないことばかり」と


書いていたその時でした。

そのせいか震災以来、どうしてもパソコンに向かう気になれずにいました。
今も心臓がドキドキしています(汗)


パソコンの横で鳴り響いた携帯の緊急地震速報14:46分。
間もなく大きな長く続く揺れ、一度落ち着くと再び大きな揺れ。
前の家の窓が外れたのを見て、尋常ではないと思いました。
室内に戻るとすでに全ての電源は落ちていましたが、物が倒れたりの
被害は全くなかったです。

その時「津波に注意してください」という市内放送を耳にしましたが
そこから大津波警報を聞いた記憶は全くありません。
ただ、海の上をかもめの集団が鳴きながら円を描いていたのだけが
記憶に残っています。

こんな地震は今までに経験がない。
もしかしたら津波が来るかも・・・

「どうせ、来ないよ(津波が)あなただけ行きなさい」と言う義母を説得し、
車に乗せ、シャッターを下ろし鍵を閉め自宅のある山方向へ向かいました。
この時でも万が一津波が来ても床下浸水くらいだろう・・・と、とにかく室内の物が
流れなければいいや、と私も義母もカバン1つだけ持ちました。
すでに渋滞していた道路、中学校に居ると安心していたソイ君が早い帰りだった事に
気付き「今から帰る」とメールをしたのが3時07分。すでに地震発生から20分が
過ぎようとしていました。


まさか、その10分後にその場所に真っ黒な大津波が押し寄せるとは
全く想像していませんでした。
全ての通信手段を断たれ、電気、水道も止まり私がその大津波の様子を目に
したのは電気が回復した3日後のことでした。


「私も後10分遅ければ、あの黒い津波の中だった・・・」
言いようもない恐怖感に襲われました。

地震発生時、壊滅的被害を受けた地区に行っていた父さんとも
地震のあと「大丈夫」のメールを受けてから音信不通に。
三陸大津波で大きな被害を受けた地区だったので、心配が時間を追うごとに
大きくなっていきましたが、全く連絡がとれず、暗くなってきた家で
探しあてたロウソクに火を灯し、たまたま電池の入っていたラジオを聞き
父さんの帰りを待ちました。「いざとなったら、逃げていて」そう祈りつつ。

普段、わずか10分で戻れる道のりを5時間かけ父さんは夜の8時に
戻って来た時には涙があふれました。無事で良かった・・・。
父さんは後10分遅ければ壊滅的被害を受けた地区で、10分早ければ山を下った地区で
津波にのまれていました。

不気味に揺れ続ける余震、心配してるであろう人達に連絡も取れず
眠れない夜が明け朝を迎えた時

「夢じゃないんだ・・・」

そう思いました。
でもこの時は興奮状態でしたので、
「大丈夫!生きてさえいれば何でも出来る」とかなり前向きで
夜眠れずとも疲れも感じずにいました。
ただ、電気、水道の不通がいつまで続き食料がいつまでもつのか
それだけが大きな不安でした。


長くなりましたので、少し休憩を。。。
[PR]
by pi-pal-mego | 2011-04-26 16:39 | 震災 | Comments(2)

ありがとうございます

皆様にご心配おかけし本当に申し訳ありません。今、やっと携帯が通じる場所に来ました。皆さんの温かいコメント拝見しとても励まされています。明日への希望はまだ見えませんが、後少し遅ければ私も津波にのまれていましたので命あると言う事は頑張って生きなければいけないと思っております。とり急ぎのご連絡で申し訳ありません。
さざんか
[PR]
by pi-pal-mego | 2011-03-14 15:13 | 震災 | Comments(12)